〒300-1222 茨城県牛久市南1-15-6 サウスヒルズ1-B(牛久駅から徒歩7分)
3月5日生 茨城県取手市生まれ
(2018年まで重症腰痛専門院 石黒将裕で活動)
好きな映画
・スターウオーズ
・キングダム
・君の名は
・天気の子
・マトリックス
・千と千尋の神隠し
・カメラを止めるな
父はキリンビールに勤めていて、父の兄弟2人もキリンビール勤務という普通の家庭で育ちましたが、
小さい頃から両親には、俺はサラリーマンにならないと言っていたのを今でも覚えています。
ですから、大学3年の頃に就職活動を行わない、ちょっと変わった学生でした。
卒業後、1年居酒屋でフリーターとして過ごすも、親の圧迫に耐えきれず1年遅れで就職活動を始めて
22歳(早生まれです)の時に全国にホテルをチェーン展開する会社に入社しました。
配属先は学生時代に居酒屋で働いていたことから長野県のホテルに隣接している海鮮居酒屋でした。
海鮮は初めてでしたので魚のさばきかたを日々練習して美味しい料理を提供できるように必死でした。更には在庫管理や発注などの社員業務も熟さないといけませんからお昼の仕込みから25時過ぎまでフル回転の毎日が続き24歳の時に埼玉県のグランドホテル内にある海鮮居酒屋店に副店長として転勤になりました。
働きが認められ店長代理として 日々奮闘する日々が続いた頃に突然会社がプリンスホテルなどの大きいホテルの買収が始まりなんと・・その買収されたホテルの料理長達が居酒屋に研修に来るといいます。
私は料理を本格的に学んだことのない25歳、、包丁の研ぎ方しらない(主婦であるパートさんが研いでくれていた。。)料理の基本を知りません。メニューは努力して作れるようになるまで練習するスタンスの私が料理長を研修する側になるなんてありえない。。
その研修にいらした料理長は、頭3つ分くらいのとても細長い帽子を身につけた50代男性、こんな長い帽子を頭に乗せて基本も身体に染みついている料理長に何も教えることはありません。
小さくなる私に料理長の反応は冷たいものでした。当然です。
そしてもう一人の料理長は頭2つ分くらいの帽子を身につけた40代男性、その方はフランス料理が得意でコミュニケーションも素晴らしく料理とコミュニケーションでパートさんの心を鷲掴みです。私が一人200円のまかない食を作っていましたが、ある時からその方が作ることになりました。
200円で簡単で美味しいフランス料理が出来上がり食べられるなんて感動・・その方は厨房内で人気者になりました。
私もまかないパスタがものすごく美味しかったことを覚えています。
私は疎外されたような「孤独感」「無価値感」に襲われガーーンと落ち込みましたが専門的な
「技術」と 「コミュニケーション」があればこんなにも人気者になれるのかとその光景にインパクトを感じている自分もそこにはいました。
この頃の「孤独感」「無価値感」が私の脳裏から離れることはなく、いつしかこのまま居酒屋勤務でいいのかなと頭の片隅に疑問が湧いてきていて、専門的な技術職に憧れを持つようになっていたのです。
この頃の私は、ホテルの総支配人である上司からはリーダーとしてもっとこうしなさいとか 部下からも、なんともいえない圧を感じることがありました。
土日は朝の09:00〜22:00までの長時間労働(土日は10:00〜24:00までの営業)
休みも少なく、シフト作り・クレーム処理・月末処理・本社への報告など 様々な仕事を行なっていたので、毎日が戦争で常に忙しく疲労困憊の日々を送るようになっていて
ある時に肺炎で入院することになりました。
月に2日しか丸1日の休みがなかったので身も心も限界がきていたのでしょう。
その時の体重は50キロまで減っていたのでもう限界を超えていました。
初めての入院でとてもショックでびっくりしたのを覚えています。
2日入院し、お店は大丈夫かなと部下やパートリーダーに連絡を入れると
「なんの問題もなくお店はまわっているので、ゆっくり休んでください」
と言われたのです。
普通からしたら、嬉しい言葉に感じるかもしれないですが、私はこの言葉に「自分って一体なんなんだ」「自分の代わりはいるんだ」と二度目の「無価値感」を感じてしまいました。
お店のため会社のために、身体を壊すくらい働いた結果が、自分の代わりはいるし、自分がたとえいなくなってもお店は何事もなかったようにまわっているという事実に愕然としたし、そんな現実を知ることで私の人生は大きく変わろうとしていました。
ショッピングモールで買い物を何気なくしていた時についに、
今の仕事のタネとなるものに出会うのです。
それは、「リフレクソロジー」です。
整体じゃないんですか?という声が聞こえてきそうですが
ショッピングモールで買い物をしていて疲れていて、たまたま入ったお店がリフレでした。
英国式リフレクソロジーのお店です。
店内の癒しの雰囲気・アロマの香り・音楽のリズムにあわせた施術に感動し、とても癒されたのです。
気に入ったのと、立ち仕事で足の疲れがあり何回も通うようになり、ある時にお店の張り紙に、
「あなたも習いませんか?」と、書いてあるのを見つけました。
まさか、施術を自分がやる側になれるの??と驚きましたが、
ワクワクする気持ちの方がいつしか強くなり、仕事の合間にはリラクゼーション業界のことを熱心に調べる時間が増えていきました。
もう私の気持ちは、そっちに向かっていたのです。
よく考えてみると
・小さい頃、父親の背中に足を乗せ全体重をかけマッサージみたいなことをして喜ばれていたこと
・中学・高校時代にテニスで疲れた時に母に身体をほぐしてもらいとても癒されたこと、
・お泊まり会で友達の足裏を押してみんながぎゃぎゃー喜んでいたこと
・中学時代に肩こりの友達にマッサージみたいなことをして喜ばれたこと
これらのことを思い出したのです。
体のケアをしたり、してもらうことで心まで元気になりまた明日から元気に頑張ることができることを知った私は
以前の自分と同じように疲れている人を癒そうと決意したのです。そこからは、とても行動が早かったです。
リフレクソロジーでやっていこうと当初は考えていたのですが、
体全体も観れた方がいいと考えるようになり
会社を退職し、まずはリフレクソロジーと整体を教えてくれるスクールに入学し学んだ後、
新橋のリラクゼーションサロンで働くことになりました
ここで2つの壁にぶち当たりました。
1つは、腰が痛い・足が痺れる・ヘルニアと診断されているなどリラクゼーションの壁を超えている方が 来院されることが多く自分では対応できなく自信がなかったこと
2つ目は、指名が少なかったこと
これは本当に悩みました。
月に0件ということが多く、稀に月に1、2件入ることはありました。
指名がないので、一見さんを相手にしたり、新橋駅のローターリーで割引チケットを渡したり
他店のヘルプに行かされたり・・・
会社をやめてまで飛び込んだのに、自分は「何をしているんだろう」「こんなことしたいためにこの業界にはいったのか」とこの時も自分を責めましたし自分の「無価値感」に悩まされました。
まさにこの2つの壁は、頭2つ分の帽子をかぶっていた料理人が持ち合わせていた
「技術」と「コミュニケーション力」が足りないということに気づいたのです。
どの世界にいても、転職しても結局は同じ問題にぶち当たり、自分で解決していくんだと今ではわかります。
当時(27歳〜29歳) 午前中は東京整体専門学院で整体を習い
午後から新橋のサロンで働いていました。
ある時に、衝撃的なことが起こります。
今思えば、先に進みなさいというサインだったのだと分かりますが、当時はパニック状態
なんと、新橋のサロンと整体学校が同じ時期に閉鎖することになったのです
30歳で開業すると以前から決めていたのですが、思うような状態になっていなかったのでどうしようという感じだったのですが、閉鎖することになり収入もなくなり学ぶところもない
途方に暮れている所に、整体学校の講師が個人店を開業した話を聞き電話したらなんと無償で修行もさせてくれるのと、開業のサポートまでしてくれることになったのです。
今はもう付き合いはありませんが、この先生がいなかったら開業できなかったかもしれません。
親の反対やお金の問題もありましたが、私の開業したいというワクワクパワーがとても強かったので
なんとか様々な問題をクリアして(お金の問題は、金融公庫で借りられ解決しました)
無事に2009年6月15日に開院しました。
このとき、30歳で自分の城を持ったという感動はすごかったです。
開業当時は、揉みほぐしをしてからストレッチをしてその後に、ドロップベッドで骨盤矯正という流れで施術を行っていました。
その施術スタイルを気にいられ、少しづつお店の方も軌道にのりましたが、2年過ぎたあたりから私の指が痛くなり、実はその頃毎日湿布を貼っていました( T_T) 今だから言えます
3年過ぎた頃には、ほぐしを受けたい方ばかりの常連さんが増え、特に土日は8人(一人75分)を一人でこなしていたため私の体は悲鳴をあげました。
月に数回吐き気を伴う頭痛がでるようになり、これはまずいと思い治療系に切り替えようと計画を立てました。
お店の利益をほぼ整体セミナーに費やし、様々はセミナー講座を受けたりDVD教材を買うようになりました。(あの頃は本当にかなりの額のお金を整体セミナーに使いました)
2012年頃にソフトな骨格矯正である片平式パーフェクト整体講座を受けたことをきっかけに、
ほぐしをやらない整体コースを作りました。その後、2014年頃にほぐしは完全にやめました。
結婚したのは、この頃です。
ソフト整体コース1本になって、体の負担は減ったのですが
次は、治せないストレスに悩まされるようになり
一時期は本当に整体の仕事をやめようと考えていました。
煮詰まっていたある時に、たまたまある整体の先生のブログをみる機会があり
痛みの原因が〇〇にあるなどわかる臨床例が写真付きで乗っていて
これだと直感でおもったんですね。
2014年頃から神技整体講座に参加するようになり、気づいたら最上級の師範になり講師を任せれるまでになりました。月に2回東京の神田で上級コースを教えていました。
この頃から自信がつきだいぶ整体の仕事が面白くなってきたことを覚えています。
整体講座の講師をしていましたが、その時に東京にもう1人 大阪に2人講師の仲間がいたのですが
その中の一人がなんと、見ただけで体のどこが悪いかわかる方だったのです。
久しぶりに衝撃を受けたのです。
正直、超能力かと思いました。
そのネタは教えてもらえず、でもそのレベルに私もなりたいとおもったんですね。
ある時に、整体DVD教材の広告の動画を見ていたら、内臓・骨・筋肉の状態や痛みの原因が
わかるというような内容だったのです。
私が講師をしていた講座の検査法は、動作の痛みの原因は特定できるのですが内臓の状態とか朝だけ腰が痛いとか寝てるときだけ腕が痺れるとかそういう症状に対しては原因がわからなかったんです。
いろいろ調べていくと、筋反射ということがわかりました。(世間では0リングともいいます)
ちょっとここから不思議な世界に入っていくことになります^ ^
DVDと別の資料を取り寄せ、独学で勉強するようになり
実家に帰った時に父親が首を動かすと痛いと言うので
筋反射で原因を調べてみると、腕から首の痛みがきていることがわかりました。
でその腕の筋肉を調整すると首は触っていないのに、痛みがないと言うのです。
これには、その時はびっくりしました。
今までは、原因となる筋肉をどこかなと目星をつけてその筋肉を押した状態で
首を動かした時に痛みが緩和していたらその筋肉が原因とそういう流れでしたが
触らず、私の筋肉の反射で腕の筋肉と特定できてしまったわけですから
今ではもっと高度なことができますし、見ただけである程度わかってしまうのですが
当時は本当に感動しました。
これがきっかけになり、筋反射を深めていこうと決意しました。
目指している世界が違うため、所属していた講師の会も抜けることになり
あれから約8年が過ぎ、今に至ります。
余談ですが、講師をしていた時に見ただけで体の状態がわかる先生は
筋反射をしていたのです。使い続けていると自分の背骨の微細な動きや噛み合わせなどで相手の症状の原因や内臓の状態がわかってしまうのです。
感覚的には、武道に通ずるものがあるのかもしれません。相手と対峙した時に、勝てないとおもってしまう感覚ですね。腕相撲でも組んだ瞬間に、実力差があると勝てない・勝てるわかりますよね。そんな感覚です。
後から別の先生からその先生は筋反射をしていたと聞き、手品のタネを知ってしまったような感覚でした。以前にキネシオロジー(AK)を習っていたようです。
様々な流れがあり、この筋反射に出会えのは偶然のようで必然のような気もしています。
来院されている方の中には、この筋反射に興味を持ってくれたり以前の私と同じで超能力ですか?とか
先生は霊感が強いんですか?と言われることもありますが、以前の私も全く痛みの原因などはわからなかったです。
ただ筋肉の反射で判断しているだけです。鍼灸の脈診に通ずるものもあるのかもしれません。
特別なものではなく、自転車と同じように練習すれば誰でもできるものなんです。
この不思議な検査や調整に興味がある方に教えています。
筋反射を深めていったある時に、今現在メインで行っている『HDS式整体』のタネに出会いました。
今ではテレビでも放送しているので知っている方も増えてきましたが
・痛みは脳が感じている
・原因不明の腰痛は、脳に原因がある
・健康な人でも椎間板にレントゲンでヘルニア異常があるけど腰痛はない方が多い
など聞いたことはありますでしょうか?
実際に来院された方の中には知っている方がいました。
以前ひどい腰痛の方がいまして、仕事に行けないくらいにまでになり半年が続き
他整体・病院に行っても一向に回復しない方がいました。
その方に筋肉を緩めたり、内臓調整をしたりしていましたが回復することなく
ある時に、脳の調整をしたら劇的に回復したのです。
これには、私もクライアントさんも驚きました。
別の方で何年も前にほとんど屈めないひどい腰痛が鍼灸に10回通っても改善しなかったみたいですが
脳の調整を含め全身のバランスを整えたら約5回の施術で完治してその後は1年に一回のメンテナスで大丈夫な体の状態になったのです。
この不思議な脳と神経を伝達を整える技術を使うようになってから
病院で狭窄症と診断され5分以上連続で歩けないとか
足が痛すぎてソファーでしか寝れない
ヘルニアの手術を2回したけど腰が痛い
などのけっこう重症の方々が
筋反射で原因を特定して、その原因部分に神経の伝達が行き渡るようにめぐりを良くすることで
ものすごく結果が出るようになったのです。
更には、良くなった方からご紹介をいただき
・喉に違和感があり声が出づらい
・花粉症が薬を飲まなくてもほとんど症状がでない
・病院の検査で甲殻類のアレルギー検査で正常になった
・緊張すると汗が止まらない学生さん
・ご飯を食べると異様に眠くなり仕事に支障がでる
・ストレスでお子さんが髪を掻きむしる
・体調が悪くてご飯を作れない 出歩くのも億劫な状態
などの一般的な整体では、回復が難しいような症状も回復するようになり感謝のお言葉を
いただけるまでになりました。
揉む・押す・伸ばす・ゴキゴキなどの一般的な施術ではないので
皆さん、とても不思議に思われますが、一般的な整体では解決しないような症状が回復に向かうことがあります。
その後、さらに経験をつみ今まで習った30の技法と知識を掛け合わせオリジナルの『HDS式整体』を確立しました。
整体というと今でもゴキゴキされ痛いんじゃないかとか
ずっと通わないといけないとか
回数券を買わさせると友人から聞いたから怖くてなかなか一歩が出ないという声もお聞きまします。
もしかしたらそのような整体院もあるかもしれませんが、私は自分が安心して通えるお店を作ってきましたし、自分が提供している施術を自分が受けたいと本気でおもっています。
また、人生の時間は誰しもが有限です。私も今年で45歳になり嫁のお父さんや親戚のおじさんが今年亡くなったりしていてリアルに残りの人生の時間を考えることもあります。
痛みや不調があることで
・やりたいことができない
・行きたいところにいけない
・毎日の生活に支障がでている
・痛みや不調で思考が常にモヤモヤしている
など
誰もが有限である人生の時間を痛みや不調があることで、無駄に使ってほしくないのです。
当整体で解決するはずの症状がご本人の中ではもう諦めていて、そんな中紹介で藁にもすがる想いでいらっしゃり解決し喜ばれたこともあります。
あきらめないでください。
『たかが整体』 『されど整体』
過去に整体を教わった方がおっしゃっていたこの2つの言葉が今でも頭に残っています。
人間には、自然治癒力という素晴らしいものが備わっています。
ぜひ、私にあなたが快適な生活がでおくれるようサポートさせてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
お会いできる日を楽しみにしています☆
当院では、ご縁や人との繋がりを大事にしています。牛久整体センターが14年間運営できたのは、人や本や講座との出会いがあったからだと確信しています。お互いの時間を大事にしてその日施術するその時間は一生に一度ですのでその部分を意識して施術させていただいています。
整体は技術が全てとは思っていません。普段の食生活や言葉の使い方や思考など日常の全てが手にでると思っています。手だけでなくタオルの掛け方や文章や表情にも滲みでます。
人は無意識で感じとるので隠せないところです。
お話を聞く・技術・タオルの掛け方・説明・お見送り全てが整体だと考えています。
巷には、整体・整骨院・リラクゼーション系などいろんなお店があります。正直、どのホームページを見ても痛みが取れますとか身体の歪みを矯正しますとか同じことが書かれていてどこが良いのか迷うというのが本音かと思います。
当院が全ての方に合うとも思っていません。一人ひとりとじっくり向き合い、空間や雰囲気もとても大事にしています。リラクゼーションサロンではありませんが、仕事や家庭で忙しい毎日をひと時でも忘れてリラックスしてもらえたらと思っています。
当ホームページを見てピンとくるようでしたらお気軽にお電話ください。
ホームページを見ていただいたご縁に感謝いたします。
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